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損得

 昨日は「損得」について書いたが、何故日本人に「善悪」の判断が浸透していないのだろうか。ここで書くのはあくまでわたくし個人の見解なので、そのつもりでいてほしい。
 日本では一部の人々を省いて大半の人々は「宗教」というものが生活や価値観にとけ込んでいない。反対に欧米、アジア、中東などでは宗教観と言うものが日常生活に強く根付いていると聞く。様々な情報を見聞きしている限り、彼らの判断基準は「善悪」なのだ。そこで一つの可能性が見えて来る。大変乱暴な考え方だが日本人の物事に対する判断基準が「損得」になってしまっているのは「宗教」という習慣が無いのが原因の一つではないだろうか。悪い言い方だがある意味「洗脳」とも言える日常に根ざした宗教観は「善悪」の価値観の教育には非常に有効に機能しやすいと思われる。「善行」の教えが毎日の生活の中で当たり前の様に存在しているのだ。「家族に対する労り」、「他者に対する労り」の価値観、考えが日常生活の中にある為、ボランティアの活動も理解されやすいし、モラルを持った行動も理解されやすい。ましてや判断基準が「善悪」なのは当たり前である。
 よく日本の起業家、経営者が海外に出た際、経営に対する考え方でよく責められやすいのは「社会に対する還元」の考え方が欠けている、という部分らしい。ここで日本人が責められている価値観もやはり「日常」の中で「善行」を行なうのが「当然」という価値観の中で生活していない為だろう。そして、その反対の「責めている側」の彼らには、やはり日常に「当たり前」の様にとけ込んだ宗教観から来る「善行」の考え方が大きく影響を及ぼしているのかもしれない。
 では、日本はどの様にして「善悪」の価値観を浸透させて行けば良いのだろうか。明治時代、既に「日本には宗教観がない」と指摘されていた。しかし、宗教観の代わりに「武士道」という価値観が日本にはある、とも言われていた。この二つの考え方は同じではないが、道徳観ではある意味近いものが機能していた。しかし、これも当時の日常生活にとけ込んでいたからこそ「機能」していたのだ。現代では「学校教育」だろうか。いや、そうではない。やはり「家庭」の中で行なわれなければ「浸透」させるのは難しいだろう。しかし、家庭の中でこれを教えるのは「親」である。「武士道」でさえ忘れてしまっている現代の親世代に「頭でしか分かっていない」かもしれない事を「他者」に伝える事は出来るだろうか。私達はもっと真剣に「改善方法」を考えるべきだ。
by plusdotk | 2005-02-16 14:27 | 社会
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