最近...

 所用で町中に出掛けると頻繁に例の「白いインナーヘッドフォン」を

良く見かける様になった。やはり、あの先に繋がっているのは「例の再生機」

なのだろうか(笑)??

 新しいラインナップは¥5,000ごとのステップで価格設定(一部当てはまらないが)

されており非常に巧い設定だと思う。あの価格設定で行くと¥10,980に

あと¥6,000足せば倍の容量になる、あっ!?あと、さらに¥5,000足せば

当初の8倍の容量になるぞ!!

っと...キリがない(笑)。さらにメモリタイプ発売後の新ラインナップの投入は恐らく

当初から予想出来ていた「市場供給が大幅に需要を下回る」のを見越して

投入したのだろう。

タイミングが非常に巧い(笑)。以前も同じ様に新モデル供給後、市場供給量が大幅に

需要を下回った時もタイミング良く従来モデルの新ラインナップを投入。

もはや「十八番」と言っていい販売戦略だろう。

 今年はまだ細かな売上状況が表立って出ていないだろうが、昨年は従来モデルの

新ラインナップの方が売れていた(店頭に行ってから納期にウンザリし、

もう一方へ乗り換えた方が多かったとか...)。今年も同じ現象になるのだろうか??

何よりこの現象をどう持続させるのか一ファンとして興味深く拝見したい(笑)。

P.S.
今回のコラム自体が「現象」の片棒を担いでいるとも言えるが(笑)。
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# by plusdotk | 2005-03-10 17:58 | iTunes&ipod

Follow Me

私と一緒に来て下さい

輝く海を越えてあの国へ

私たちが見知った世界を遥かにこえたところで

夢の世界より遥か彼方で

これまでに味わったどんな喜びより遥か彼方で待っているのです

私と一緒に来て下さい

愛するものにしか見えないこの道を

楽しい夜の年月の彼方に

涙を、そして私たちが無駄にした年月を超えて

光の中へと続いている道です

私と一緒に来て下さい

この山の奥の彼方の国へ

いつも心に抱いていた音楽の全てが空を満たしています

沈黙の歪みの中で歌えば心は解放されます

そうしている間にも世界は回り続け

そして落ちて行きます

注 : 映画「イノセンス」劇中使用対訳抜粋

「Follow Me」
Music by J.Rodrigo
Lyrics by H.Kretzmer/H.Shaper
Ediciones Joaquin Rodrigo. Madrid
編曲 川井憲次
歌  伊藤君子

 「ことば」が人間の体を創ったんだ...人間の体って結論から言うと「ことば」だよ...押井守監督のインタビューでの「ことば」である。

「ことば」とは日頃「想い」を伝える為に使ってはいないだろうか。当然、ツール、通信手段、コミュニケーション手段として使用している事が多いだろう...しかし、時を超えて記憶にとどめられる「ことば」とは「言霊」としてのことばである。わたくしも仕事上、ことばを創り出す機会が多い、その度に気が付くのは、本当の意味で「人の心を掴んで離さないことば」にするには「想い」が必要だということである。そして、その想いは人間を形創る...あらゆる意味で...

良い世界を創るには「ことば」が必要である。

良い人間関係には「ことば」が必要である。

しかし、「話す」こと、「音」に発することだけが「ことば」ではない。

「ことば」は視覚として見ることも出来る。

では「ことば」とはただ単なる視覚上の形態も伴った「言語」を指しているのだろうか??


P.S.
「ことば」のマスマーケットであるメディアをめぐって現在、新世代とかつての時代の経営者がクローズアップされている...「ことば」をめぐる人々の交わりはこれからも連綿と続いて行くだろう...忘れてはならないのは、一体何が何の為にそこに在るのか...それを忘れてはいけない...
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# by plusdotk | 2005-03-09 03:15 | 社会

ことば

 現在一人勝ち状態の「人類」。何故人類(ホモ・サピエンス)は現在の様な最盛期を迎える事が出来たのだろうか。
 一気に時代が大きく遡るが3万年前に絶滅したとされている「ネアンデルタール人」とわたくし達「ホモ・サピエンス」と比較した場合、脳の容量は「ホモ・サピエンス」と変わらない「1400ml」だった。基本的に「脳」に由来する能力の違いが原因になり両者の間に大きな差が現れたわけでは無い様だ。何故「ホモ・サピエンス」が生き残って行く事になったのか、という疑問に対しある学説がある。そこでは、以下の様に言われている。「ホモ・サピエンス」は喉の「声帯」が「ネアンデルタール人」と比較し下方に位置する為、声帯より上部の「気道」が長く確保された。それ故に声帯から発せられた「音」を上手に気道に「共鳴」させ、さらに「複雑なことば」を話す事が出来た。それに対し「ネアンデルタール人」は声帯の位置が高く、気道の長さが短い、それ故に複雑な音を共鳴させる事が出来ない。その結果として複雑な「ことば」を扱う事が出来なかったのだ。そう、完璧な「ことば」を扱える様になった為に人類はここまで発展して来た。と、その学説では述べているのだ。つまり、この時点で遺伝子とは別に「第二の遺伝子」とも言える「ことば=情報」を手に入れたのだ。巧みに、ことばを操り重要な情報の交換を正確に素早く行ない危機を脱して来た。現在では地震も「情報」収集により予測と警告を行なえるまでになっている。そう、今、貴方が見ているこの文章も「ことば=情報」である。

 現在、その「ことば」が危機にあると言われている。「人類」をここまで進化させて来た「ことば」が危ないと言うのだ。現在までにも言葉は変化を続けて来た。現代において平安時代の話し言葉で日常会話をこなす方はほとんどいないだろう。当たり前だが、今回「危機」と言われているのは当然、「現代の国語」である。漢字の読み書きに始まり、日常会話での話し方やTPOでの使い分けが「悪い意味」で変化しているのである。大変お恥ずかしいが、この件に関してはわたくしは自信が無い。常日頃言葉遣いを意識をする様に努めているが、厳密な指摘を第三者から受けた事が無いので確固たる自信がないのだ。

 現代人が良く指摘される「ことば」遣いの間違いの例として「檄を飛ばす」がある。これは本来の意味は「人々を大急ぎで呼び集める」と言う意味だが、「叱咤激励」の意味に勘違いされている。この調子で「勘違い」している「ことば」から「全然良いですよ。」といった根本的な言葉遣いの誤りまで「危機」が盛りだくさんと言うわけだ。しかし、その危機と平行して全く違う意味で「ことば=情報」を根底にしたもう一つの危機がある。
 現在インターネットなどの整備が進み世界中で情報の共有化が急速に進んでいる。その中で「価値観」、「流行」の世界均一化が顕著に進んでいると一部で言われているらしい。現在、「ラップミュージック」が世界中で流行しているが、この流行の一端はインターネットからの「情報」にあると言われている。アメリカで発生したこのストリートミュージックが現在、国を問わず席巻している。その結果ブラジル、スペイン、韓国と国を問わず同じ音楽が流れているのだ。「人類皆兄弟」といった発想の考えで行けば、一見皆で仲良く一つの価値観を共有している様に映るが、その反面「価値観」の一本化が進んでいるとも言える。これは本当の意味で危険である。現在、イラク戦争後のイラクでアメリカが価値観の異なる国に対し「欧米流の自由」を押し付けているのでは、と言われ続けている。これは中東諸国にある元来の価値観を踏まえず一方向からスポットを当てた考え方でのみ行動を取っていると言われているからだ。今アメリカがイラクで行なっている復興政策とはある意味自国や「欧米流自由圏」にとって都合の良い「価値観の均一化」の布教とも取れるのだが如何だろうか。ここでは「ことば=情報」の流入、もしくは強引に流入させることにより決して好ましくない「ことば=情報」を元にした「価値観の押しつけ」と言う危機が起こっているわけだ。

 人が二人以上集まれば必ず「人間関係」が生まれる、そこには「ことば」による「相互理解」が必ず必要になって来る。そして、「相互理解」には必ず想像力が必要になって来る。これは様々な価値観の経験があればあるほど「理解力=想像力」が深まるとも考えられる。そして、その根本にあるのは、それぞれの地域で根ざして来た「ことば=情報」であるのだ。となれば、「ことば=情報」の均一化と言うのは「多様な価値観の経験の機会」を失う事になりかねない。(乱暴な考え方だが既に日本国内では一部情報の均一化が起こっている。日本国内を列車で移動する時に「駅」を見て欲しい。一部の駅を省いて大半が駅名を見ない限り、そこが一体どこで何駅なのか一見して見分ける事が出来ない状況になっている)「ことば」を底辺にその上に積み上げられ続ける事から派生した「文化」。これは価値観のぶつかり合いの究極「戦争」も産み出して来たが、価値観の違いがぶつかり合ったからこそ、新しい価値観、新しい創造も生まれて来た(創造の代表である「エンターテイメント」とは基本的に異文化=異なる価値観との接触が基本だと言われている)。この源である「ことば=情報」を今一度見直すのは本当に難しいことだ。

 言葉の変化は現代まで続いて来たニーズの変化やその時々の社会背景なども取り入れながら現在の様なスタイルに変化して来たはずだ。不特定多数の人々に情報を伝えるという本来の目的を果たせない言葉遣いには問題があるとは考えるが、自然と変化したことばに対してはどのように考えるべきなのだろうか。「勘違い」とは言われているが既に日常に定着してしまっている言葉も多い。さらに現在まで続いて来た「文化」、「民族性」としての「歴史の刻まれた言葉」も伝えて行かなければならない(その遥か昔、高句麗[高麗とも言う、現在の韓国、北朝鮮]で起こった悲劇を繰り返してはならない。韓国、北朝鮮では高句麗以前に使用されていた「ことば」が当時の支配者により完全に廃絶されてしまった。現在、当時の言葉を知る上での情報がほとんど無い状態らしい)。そして、「ことば」の先にある「情報」としての「機能(情報操作ともとれる)」に対する考え方の問題も忘れてはならない。機会があればわたくしも是非一緒に学ばせて頂きたいものだ(笑)。
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# by plusdotk | 2005-03-02 19:57 | 社会

私にはこの賞が必要だったのよ!!

ゴールデン・ラズベリー賞にて「キャット・ウーマン」で「最悪作品賞」を受賞したハル・ベリー氏の言葉だ。毎年「映画界における その年最低の功績」に対して送られる不名誉な賞である(笑)。そんな授賞式だから当然のごとく受賞者は会場には来ない。しかし、今年は違った...来たのだ。ハル・ベリー氏が!!今回のタイトルはその時、彼女が授賞式の壇上で叫んだ言葉だ(笑)。授賞式壇上にマネージャーも呼び出し一言「今度からは脚本をよく読んでから仕事を選びましょうね!!」。しかし、壇上でトロフィーを握りしめながら、握りこぶしが振り下ろされるたびに聞こえた「ドンドン!!」と言う音が耳から離れない。くえない人だ(笑)。

最悪男優賞」は「華氏911」に主演??した現ブッシュJr大統領だ。
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# by plusdotk | 2005-03-01 01:26 | 映画

損得

 昨日は「損得」について書いたが、何故日本人に「善悪」の判断が浸透していないのだろうか。ここで書くのはあくまでわたくし個人の見解なので、そのつもりでいてほしい。
 日本では一部の人々を省いて大半の人々は「宗教」というものが生活や価値観にとけ込んでいない。反対に欧米、アジア、中東などでは宗教観と言うものが日常生活に強く根付いていると聞く。様々な情報を見聞きしている限り、彼らの判断基準は「善悪」なのだ。そこで一つの可能性が見えて来る。大変乱暴な考え方だが日本人の物事に対する判断基準が「損得」になってしまっているのは「宗教」という習慣が無いのが原因の一つではないだろうか。悪い言い方だがある意味「洗脳」とも言える日常に根ざした宗教観は「善悪」の価値観の教育には非常に有効に機能しやすいと思われる。「善行」の教えが毎日の生活の中で当たり前の様に存在しているのだ。「家族に対する労り」、「他者に対する労り」の価値観、考えが日常生活の中にある為、ボランティアの活動も理解されやすいし、モラルを持った行動も理解されやすい。ましてや判断基準が「善悪」なのは当たり前である。
 よく日本の起業家、経営者が海外に出た際、経営に対する考え方でよく責められやすいのは「社会に対する還元」の考え方が欠けている、という部分らしい。ここで日本人が責められている価値観もやはり「日常」の中で「善行」を行なうのが「当然」という価値観の中で生活していない為だろう。そして、その反対の「責めている側」の彼らには、やはり日常に「当たり前」の様にとけ込んだ宗教観から来る「善行」の考え方が大きく影響を及ぼしているのかもしれない。
 では、日本はどの様にして「善悪」の価値観を浸透させて行けば良いのだろうか。明治時代、既に「日本には宗教観がない」と指摘されていた。しかし、宗教観の代わりに「武士道」という価値観が日本にはある、とも言われていた。この二つの考え方は同じではないが、道徳観ではある意味近いものが機能していた。しかし、これも当時の日常生活にとけ込んでいたからこそ「機能」していたのだ。現代では「学校教育」だろうか。いや、そうではない。やはり「家庭」の中で行なわれなければ「浸透」させるのは難しいだろう。しかし、家庭の中でこれを教えるのは「親」である。「武士道」でさえ忘れてしまっている現代の親世代に「頭でしか分かっていない」かもしれない事を「他者」に伝える事は出来るだろうか。私達はもっと真剣に「改善方法」を考えるべきだ。
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# by plusdotk | 2005-02-16 14:27 | 社会

モラル

 昨年から始めた、この仕事もそろそろ5ヶ月になろうとしている。その数ヶ月の間に世界で起こった出来事は数えきれない...あなたも既にご存知だろうが、先日小学校で、またしても包丁による殺傷事件が起こった。原因は「小学校時代にイジメに遭っているのに担任が助けてくれなかった...」と言う事らしい。特にこの事について書きたかったわけではないのだが、どうもここ数年世の中に対して鬱々としたモノを感じて仕方ない。明らかなのは人々の感情に歯止めがかかっていないのだ。今日、親しくして頂いているRYU建築設計事務所のブログを読んだのだが、人々の判断基準が「善悪」では無く「損得」で判断されているのでは無いか、と言う話題の書かれた紙面を読まれたらしい。確かに言われてみれば、現在巷で起こっている現象は「損得」と言う基準で考えると先日起こった事件も乱暴な解釈だがある意味合点がいく。「イジメ」と言う出来事が事実なら「彼」にとっては損得で考えると「損」な出来事に他ならない。だからこそ彼は「損した分」を何らかの形で「変換」したかったのではないか...それが、あの事件に繋がって行くのだろうか...確かに人間は感情と言う「主観」を持ち合わせているからこそ「感性豊か」な生き様を持ちあせている反面、あらぬ方向に大きく逸脱した感情は時には恐ろしい行動呼び起こすのかもしれない。
 人は柔軟だからこそ、今までに様々な文化、発明、社会を形成して来た。しかし、可能性の大きさと柔軟さ故に常に多面的な部分を持ち合わせている。それには当然「影」の部分も含まれているのだろう。モラルハザード、コンプライアンス...様々な横文字を使って人々の考えを元ある場所へという動きが始まってはいるが、まずはこの現状が一体何処から来ているのか、しっかりと考えた方が良いのだろう。当然、ここ最近大手企業や某放送局で起こっている出来事は、子供でも「損得」で考えていることが分かるだろう。
 「経世済民」、何とか多くの人々に富の分配を潤滑にする為に生まれた、この発明は今や「損得」だけで物事を判断する人々を多く創り出してしまったのかもしれない。
 乱暴な言い方かもしれないが、世界の成長した経済の大部分は多くの人々の「愛情」を根幹にして来た。自身が育った故郷、友人や知人果ては社会的な弱者に対する「やさしさ」、「思いやり」が成長の要因だったわけだ(一部では違う側面もあったが)。もちろん戦後復興時の日本も「お互いに生活を向上させよう」と言う号令のもと、一気にここまで成長出来た。現在「損得」が基準になっている様な、これら「愛情」や「やさしさ」、「思いやり」が不在の世の中で、本当に経済もモラルも「回復」する事は出来るのだろうか非常に疑問だ。特に子供達は一体何を目標に生きて行けと言うのか。
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# by plusdotk | 2005-02-15 18:20 | 社会

今日から...

 いつもご来店頂き誠にありがとう御座います!!今日から「茶室 どっと ケイ」も「Blog」にした。気軽に変更が出来、今までの内容が全て簡単に閲覧出来るのは非常に分かりやすい。これで、わたくしも多少は書く様になるだろうか(笑)??
 あっと言う間に2月である。ここ数日の寒波は非常に厳しく、これを見ている貴方も苦労されているのではないだろうか。幸いにも京都は底冷えはさらに増して酷いが雪害は市内に関しては今日の時点で、ほとんど無い様子。わたくしの部屋を暖めてくれているストーブの灯油もここ数日で買い足しに行かなければならなかった。いつもの期間の半分ぐらいしか持たなかったのではないだろうか。冬が寒いのは当たり前だが暖かいの寒いの、と極端な気候の変化は勘弁してほしいものだ。
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# by plusdotk | 2005-02-03 21:21 | 日記

新年

 新年あけましておめでとう御座います。今日から+.kも仕事始めである。酉年は新しい技術の登場や経済市場の激しい動きなど「変化」の激しい一年になりやすいとのこと。昨日の株取引もバブル期の取引高の1.5倍を上回り、驚きの滑り出し。世間では「既に景気の停滞か?」と言われているが、ここでは経済の活気の様子が伺える。+.kはやっと起業4ヶ月目を迎えたばかりなので、大袈裟な事は言えないが、今年もクライアントの活性化、そのエンドユーザーへの貢献、そしてなにより最も重要なモラルある社会構築へ貢献して行きたい。この一年を言葉は平たいが是非「飛翔の一年」にしたいと考えている。改めて本年も+.kを宜しくお願い致します。
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# by plusdotk | 2005-01-05 13:28 | ご挨拶

仕事納め

 気が付けば、2004年もあとわずか。+.kは明日から年末年始休業を頂き年始は1/5から始めさせて頂く。昨日でやっと起業から3ヶ月が経過したばかりだが、あまりにも色々な事が起こっていたので、一年以上が経過している様な錯覚を覚えるくらいである。+.kは大変贅沢な事に起業3ヶ月で既に数件の受注を頂いた。起業してまなしの+.kを信頼し、発注して頂いたクライアントの方々へは本当に有り余るほどの感謝の念を持っている。何より+.kは「パートナーシップ」を全面に出している為、非常にご理解頂くのが難しい面が多々あるにも関わらず、+.kにチャンスの機会を用意して頂いた。新年度も引き続きチャンスを頂ければ最善の努力を惜しまない様に突き進んで行きたい。そして、新たなクライアントの方々とも出会って行きたいと考えている。来年もどうか+.kを宜しくお願いしたい。

今年は非常に物事を深く考える事が出来た。あらゆる側面から+.kを支えて下さった方々へ有り余るほどの感謝の念を送りたい。支えて下さる方々がいなければ、「物事を考える」チャンスも無かっただろう。わたくし(+.k)は非常に幸福なのかもしれない。本当はここに支えて下さった方々のお名前を一人一人記載したいのだが、無断で記載する訳にも行かないので、ご容赦頂きたい。この場をお借りして感謝の念を申し上げます。本当にどうもありがとう御座いました!!来年も今年と変わらぬお付き合いをどうか宜しくお願い致します!!そして、プライベートでわたくしを支えてくれたパートナーと家族、友人へ本当にどうもありがとう御座いました!!どうか来年も宜しくお願い致します!!
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# by plusdotk | 2004-12-28 13:26 | ご挨拶

「不安」と「ケア」

 一ヶ月以上更新が無く久々の更新は、またしても悲しい出来事。今年は本当に「災」の年になってしまった。現在(04.12.27正午現在)の状況で、スマトラ沖地震での犠牲者は1万人におよぶと報道されている様子。非常に残念な事だが日本人観光客も既に15人のご遺体が確認されているとの事(04.12.27正午現在、身元は不明の様子)。

話が少々外れるが、例えば人類全体を一人の人格と見なして、現在の精神状態を考えてみると「情緒不安定」が当てはまるのだろうか(最悪、鬱状態?[汗]...あまり想像したくないが[汗]...)?あまりにも安定していて「何も考える必要が無い」のも困りものだが、全く安心出来なくて安全の事ばかりを「常に考えている」のも困りものであるし、その状況自体は非常に悲しい。現在、世界で起こっている事象があまりにも「極端」なのである。「天災」や「戦争」だけではない。現在、世間で起こっている事件一つをとって見ても「情緒不安定」や「鬱」な印象を持ってしまう。「天災」、「戦争」にせよ「事件」にせよ、やはり「ケア」が必要だろう。しかし、「ケア」と言っても雛鳥の様に巣で口を開けて「ケア」を待つ「受け身」では無く、積極的に「ケア」を行なう「送り手」側に回らなければならないだろう。これは他人事ではない「わたくし」も「あなた」も、既に関わっているのだ。この地上に生存している限り逃れる事は出来ない。「おこない」を行なわなければ、何も「おこらない」。何を行なうべきか「考えよう」。そして、身の回りで出来る小さな事から「おこなって」行こう。ここ数年間(それ以前からだろうが)で、はっきりした事は「誰かが解決を試みなければ何も変わらない、改善されない」と言う事だ(だから、わたくしも就職より起業を選んだのかもしれない)。もう「誰かが事に当たってくれる」、「誰も何もしてくれない」といった発想は捨てるべきだ。自身から積極的に行なった「おこない」という、その良い経験は「わたくし」にとっても「あなた」にとっても決して今後無駄にはならないのだから。何よりも最後にどこかで誰かが喜んでくれる。常に愛情を持って事に当たる努力をする。これは非常に重要だと思う。

最後に今回の地震で犠牲になられた方、被災された方へ心からのお悔やみとお見舞いを申し上げます。
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# by plusdotk | 2004-12-27 13:24 | 災害