カテゴリ:社会( 9 )

皮肉な事に

 7/7に同時テロを受けたイギリスは表面上落ち着き払った印象を受ける。皮肉な事にイギリスは今までにIRAとの対立でテロに対する感覚が身に付いている様だ。今回のテロと規模が違うので何とも言えないが、ある意味人々の反応が大きかったアメリカでの「9.11」と比較すると国民性とも表現出来る様な反応の違いがある。
 現在、イスラム系住民への嫌がらせなどは数件発生していると伝わっているが、現地の人々の反応はあくまで「共存」といった印象が強い(今後は分からないが)。現状を耐える事が良いと言いたいのではないが、起こった出来事が大きいだけに「極端な反応が出るのでは」と危惧していたが、ある意味安心出来る様子だ。しかし、犠牲者は既に50人を超え現在も確認を急いでいる方々が20人程おられるという。
 イスラムでは「人であれ動物であれ生けるものを殺す事は許されない」。宗教、人種、国家を飛び越えて共通認識として持ちたい考えだ。
 家族を殺されたからといって、その相手を殺し、さらにその殺された側の家族は、また殺した相手を憎む...「憎しみの連鎖」が一度始まると誰かが止めようとしてもなかなか容易に止まる事は無い...非常に複雑な感情にはなるが「根底にある罪を裁く」これが最も重要なのではないだろうか。
 この場を借りてロンドン同時テロで犠牲になられた方々と負傷された方々、そして関わる家族の方々に心からのお悔やみとお見舞いを申し上げる。一日も早い心の平穏が訪れる事を願っている。
 
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by plusdotk | 2005-07-12 00:26 | 社会

一ヶ月...

 久々の更新である。4月に住居兼事務所の引越をしてからというものずっとバタバタとしている。今日までの約二ヶ月の間にも世間では悲しい出来事や情けない事ばかりが続いている。ここ数年特に情報化社会と化して来たおかげで「出来る事なら知りたく無い出来事」も勝手に耳や目、そして感情の中に入り込んで来る。
 4月も末になりゴールデンウィークも間近となった4/25の「JR福知山線脱線事故」。あの非情な出来事から今日で一ヶ月が経った。人を亡くすという出来事は、いつの時代も遭遇したく無い出来事である。わたくしも7年前に一年間のうちに知人や親類を立て続けに亡くした事がある。その年の始まりから一人二人と次々に亡くして行く中、その年の秋に祖母、翌年明けには名付け親の祖父をも亡くした。特に祖母は病に倒れた上での出来事であっただけに、当時は精神的に相当参ったのを未だによく記憶している。
 あの時の悲しみを他人にも味合わせたい、などとは決して思う事は無い。今回の様な出来事が起こる度に非情にいたたまれない感情におそわれる。
 今回の出来事は未然に防ぐ事が出来たはずである。一つの出来事にはあらゆる複数の要因が絡んでいるが今回もその様子が当初から強かった様である。その要因の裏側には常に「人間」の姿が垣間見える。現在の社会で何かを決定しているのは多くが「人間」である。と言う事はこの社会の中では何事においても「最後には人ありき」という事になる。
 わたくしが仕事上、良く口にする言葉は「何事も最後は人ありき」という言葉である。「人間」をしっかり育てておけば多くの「不手際な出来事を防ぐ確立」が高くなる。「人」が社会を形作っている以上、常に「人」が中心にいるのを忘れてはならない。当然、組織のモラルも「人」が創っているのだ。これを読んでいるあなたも常に意識しておいて欲しい。
 この場をお借りして改めてJR福知山線脱線事故にて犠牲になられた方々、負傷された方々、そのご家族や事故に巻き込まれた方々に心からお悔やみとお見舞いを申し上げたい。一日も早く心の平穏が訪れる事を心よりお祈り申し上げる。

P.S. 「他者を思いやる想像力」を身につける事は結果として自身や自身の家族、恋人、友人、全ての人々が幸せになる事に繋がるのだ。それを忘れないで欲しい。
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by plusdotk | 2005-05-25 19:05 | 社会

悲報

 大変残念な事にローマ法王ヨハネ・パウロ2世が日本時間3日4時37分ごろ、この世を去られた。享年84歳。現在の世界情勢のこの混乱が「十字軍」に始まりがあるのでは...と謝罪をされていたのは今でも非常に印象に残っている。妊娠中絶や安楽死に関しては世界の流れと対立しているかの様な部分もあったが、常に彼ほど「平和」とその希求を訴えかけていた人物はいないかもしれない。心からのご冥福をお祈りしたい。
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by plusdotk | 2005-04-03 13:19 | 社会

会社は一体誰のモノ??...

 今日から多くの場所で新年度が始まり、新しく社会人をスタートした人々もいるだろう。そこでお聞きしたい「会社は一体誰のモノですか??」
 法律の上では「株主のモノ」と言う事になる。しかし、日常生活の中で日本人の多くは「株主」という言葉に触れる事は多く無いだろう。それだけに「株主のモノ」と言われても「頭でしか理解出来ない」のが本当のところかもしれない。そこで、ここからはわたくしの個人的な考えとして聞いて頂きたいのだが、わたくしは「会社」は「お客様のモノ」、そして大きくは「社会全体のモノ」と考えている。会社という組織は「製品」を「顧客」に届ける事により「利益」を得ている。つまり「顧客からの需要」と言う名の「投票」によって会社は、その「存在価値」を決められているのだ。ならば法律上は「株主のモノ」であっても現実は「お客様のモノ」というのが本当のところではないだろうか。当然、その「投票システム」に当てはまらない「会社」、「組織」も存在する。それは「社会全体のモノ」という「パブリック」な性質の強い組織などが当てはまる。
 当然だが、わたくしが運営している「+.k」も当てはまる。「お客様のモノ」であり「社会全体のモノ」である「会社」、自分の仕事を通して一体誰が一番最後に喜んでくれているのか??...それを常に想像しながら「仕事」をして欲しい。ちなみにこの内容の中には「モラルを持たない人間」はどちらの側にも含まれていないのでそのつもりで(笑)。そんな人間の笑顔の為に誰が汗水流して働こうというのか(汗)...これを読んでいるあなたもそんな人間の為に働く必要は無いので自信を持って行動すれば良い(笑)。

 付け加えておきたいのだが、実は「株主のモノ」である「会社」にウンザリしている人々も沢山いる。利益最優先の「株主」の為に働いても本当に「誰かの為」になっているのか、もしかして「誰の為にもなっていない」のではないかと思い。「会社」を辞めてしまった人が沢山いる。そして、「辞めたい人」も沢山いる。21世紀に入り「組織」というモノがいよいよ「新しい形」を求められているのかもしれない。特に欧米では「株主のため」という考え方にウンザリしている人々が多く見受けられる。あなたも良く良く考えてみて欲しい。残念ながら答えは今のところ無い、あなたとわたくしがこれから考えて行くのだ。その答えの一つとして現在ATTACの様なNGO組織も存在する。

P.S. 良い噂のたたない政治家も「政治家は一体誰のモノ??」と自問自答してみて頂きたい。答えは今さら言うまでもなく「マジメに生きている国民のモノ」だ。それをくれぐれもお忘れの無い様に。威張り散らして頂く為に税金を納めているのわけでは無いので(笑)。
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by plusdotk | 2005-04-01 23:02 | 社会

今後必要とされているもの...

 さて、以前にも書いたが「モラル」と言うのは「守る」のが当たり前であり企業に「付加価値」を加える為の「考え」ではない。わたくしの+.k web siteを見て頂ければご理解頂けると思うが当事業は「モラル」を主軸におき活動を行うことを信条としている。そして、不服に思われる方もおられるかもしれないがクライアント様にも「モラル」を求めている。つまり「不良顧客と見なせば、いつでも断ります」と言うのが当事業の信条なのである。そう言うからにはこちらも徹底的に「モラル」を意識して仕事をこなしているし、クライアント様のエンドユーザー(クライアント様の顧客)に役立つ様に徹底努力している。だから、町中でふと自身がサービスを受ける側に立った際に非常に鼻につくのである。何が鼻につくかというと先方の「サービスの質」が悪い時、そして最悪の場合、完全に「モラル」の欠如した対応の時である。そう言った時に何が共通しているかと考えると顧客に対する「組織の姿勢」である。平たく言えば顧客に対し「愛が無い」のである。顧客が供給側に対し対価を支払う理由は「それを求めているから」であるが相手は人間だ「消費活動」とはそう単純ではない。「それを求めているから」と言って「こちらも提供しているのだから金を出すのは当たり前」と言う姿勢で良いのだろうか??消費をする際、感情的に気持ち良くコミュニケーションを取った上で必要なモノを手に入れるなら、その出来事は場合によってはただ単なる消費活動だけでは終わらずにその人物にとって人生の上で非常に大きな出来事になる場合もあるし生き方を変える場合もある。これが住まいともなると供給側の責任の大きさは計り知れないし質の高い製品作りは当たり前の事である。何故なら、その場所で生活し思い出と共に生きて行くのだからだ。しかし、不愉快な出来事は無くならない。特に対する組織が大きくなればなるほど、どうもその傾向が強い感覚をよく受ける。わたくしの偏見だろうか??
 これを読んだあなた。もしあなたが今働いている場所が大きな組織なら今一度、顧客に対し一対一での人間関係の考え方に立ち返り考えて欲しい。特に対する相手が自身の知り合いなら相手に対し不愉快な想いをさせたいとは思わないはずだ。さすがに相手が日本国憲法の通じない相手なら話しは論外だが(笑)。

追記
コメントを頂いて大事な事を忘れているのに気が付いた。今回「供給側」の姿勢について書いたが、全く反対の「需要側」つまり「消費者側」も当然モラルが求められている。この言葉を追記しておく。
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by plusdotk | 2005-03-15 23:38 | 社会

Follow Me

私と一緒に来て下さい

輝く海を越えてあの国へ

私たちが見知った世界を遥かにこえたところで

夢の世界より遥か彼方で

これまでに味わったどんな喜びより遥か彼方で待っているのです

私と一緒に来て下さい

愛するものにしか見えないこの道を

楽しい夜の年月の彼方に

涙を、そして私たちが無駄にした年月を超えて

光の中へと続いている道です

私と一緒に来て下さい

この山の奥の彼方の国へ

いつも心に抱いていた音楽の全てが空を満たしています

沈黙の歪みの中で歌えば心は解放されます

そうしている間にも世界は回り続け

そして落ちて行きます

注 : 映画「イノセンス」劇中使用対訳抜粋

「Follow Me」
Music by J.Rodrigo
Lyrics by H.Kretzmer/H.Shaper
Ediciones Joaquin Rodrigo. Madrid
編曲 川井憲次
歌  伊藤君子

 「ことば」が人間の体を創ったんだ...人間の体って結論から言うと「ことば」だよ...押井守監督のインタビューでの「ことば」である。

「ことば」とは日頃「想い」を伝える為に使ってはいないだろうか。当然、ツール、通信手段、コミュニケーション手段として使用している事が多いだろう...しかし、時を超えて記憶にとどめられる「ことば」とは「言霊」としてのことばである。わたくしも仕事上、ことばを創り出す機会が多い、その度に気が付くのは、本当の意味で「人の心を掴んで離さないことば」にするには「想い」が必要だということである。そして、その想いは人間を形創る...あらゆる意味で...

良い世界を創るには「ことば」が必要である。

良い人間関係には「ことば」が必要である。

しかし、「話す」こと、「音」に発することだけが「ことば」ではない。

「ことば」は視覚として見ることも出来る。

では「ことば」とはただ単なる視覚上の形態も伴った「言語」を指しているのだろうか??


P.S.
「ことば」のマスマーケットであるメディアをめぐって現在、新世代とかつての時代の経営者がクローズアップされている...「ことば」をめぐる人々の交わりはこれからも連綿と続いて行くだろう...忘れてはならないのは、一体何が何の為にそこに在るのか...それを忘れてはいけない...
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by plusdotk | 2005-03-09 03:15 | 社会

ことば

 現在一人勝ち状態の「人類」。何故人類(ホモ・サピエンス)は現在の様な最盛期を迎える事が出来たのだろうか。
 一気に時代が大きく遡るが3万年前に絶滅したとされている「ネアンデルタール人」とわたくし達「ホモ・サピエンス」と比較した場合、脳の容量は「ホモ・サピエンス」と変わらない「1400ml」だった。基本的に「脳」に由来する能力の違いが原因になり両者の間に大きな差が現れたわけでは無い様だ。何故「ホモ・サピエンス」が生き残って行く事になったのか、という疑問に対しある学説がある。そこでは、以下の様に言われている。「ホモ・サピエンス」は喉の「声帯」が「ネアンデルタール人」と比較し下方に位置する為、声帯より上部の「気道」が長く確保された。それ故に声帯から発せられた「音」を上手に気道に「共鳴」させ、さらに「複雑なことば」を話す事が出来た。それに対し「ネアンデルタール人」は声帯の位置が高く、気道の長さが短い、それ故に複雑な音を共鳴させる事が出来ない。その結果として複雑な「ことば」を扱う事が出来なかったのだ。そう、完璧な「ことば」を扱える様になった為に人類はここまで発展して来た。と、その学説では述べているのだ。つまり、この時点で遺伝子とは別に「第二の遺伝子」とも言える「ことば=情報」を手に入れたのだ。巧みに、ことばを操り重要な情報の交換を正確に素早く行ない危機を脱して来た。現在では地震も「情報」収集により予測と警告を行なえるまでになっている。そう、今、貴方が見ているこの文章も「ことば=情報」である。

 現在、その「ことば」が危機にあると言われている。「人類」をここまで進化させて来た「ことば」が危ないと言うのだ。現在までにも言葉は変化を続けて来た。現代において平安時代の話し言葉で日常会話をこなす方はほとんどいないだろう。当たり前だが、今回「危機」と言われているのは当然、「現代の国語」である。漢字の読み書きに始まり、日常会話での話し方やTPOでの使い分けが「悪い意味」で変化しているのである。大変お恥ずかしいが、この件に関してはわたくしは自信が無い。常日頃言葉遣いを意識をする様に努めているが、厳密な指摘を第三者から受けた事が無いので確固たる自信がないのだ。

 現代人が良く指摘される「ことば」遣いの間違いの例として「檄を飛ばす」がある。これは本来の意味は「人々を大急ぎで呼び集める」と言う意味だが、「叱咤激励」の意味に勘違いされている。この調子で「勘違い」している「ことば」から「全然良いですよ。」といった根本的な言葉遣いの誤りまで「危機」が盛りだくさんと言うわけだ。しかし、その危機と平行して全く違う意味で「ことば=情報」を根底にしたもう一つの危機がある。
 現在インターネットなどの整備が進み世界中で情報の共有化が急速に進んでいる。その中で「価値観」、「流行」の世界均一化が顕著に進んでいると一部で言われているらしい。現在、「ラップミュージック」が世界中で流行しているが、この流行の一端はインターネットからの「情報」にあると言われている。アメリカで発生したこのストリートミュージックが現在、国を問わず席巻している。その結果ブラジル、スペイン、韓国と国を問わず同じ音楽が流れているのだ。「人類皆兄弟」といった発想の考えで行けば、一見皆で仲良く一つの価値観を共有している様に映るが、その反面「価値観」の一本化が進んでいるとも言える。これは本当の意味で危険である。現在、イラク戦争後のイラクでアメリカが価値観の異なる国に対し「欧米流の自由」を押し付けているのでは、と言われ続けている。これは中東諸国にある元来の価値観を踏まえず一方向からスポットを当てた考え方でのみ行動を取っていると言われているからだ。今アメリカがイラクで行なっている復興政策とはある意味自国や「欧米流自由圏」にとって都合の良い「価値観の均一化」の布教とも取れるのだが如何だろうか。ここでは「ことば=情報」の流入、もしくは強引に流入させることにより決して好ましくない「ことば=情報」を元にした「価値観の押しつけ」と言う危機が起こっているわけだ。

 人が二人以上集まれば必ず「人間関係」が生まれる、そこには「ことば」による「相互理解」が必ず必要になって来る。そして、「相互理解」には必ず想像力が必要になって来る。これは様々な価値観の経験があればあるほど「理解力=想像力」が深まるとも考えられる。そして、その根本にあるのは、それぞれの地域で根ざして来た「ことば=情報」であるのだ。となれば、「ことば=情報」の均一化と言うのは「多様な価値観の経験の機会」を失う事になりかねない。(乱暴な考え方だが既に日本国内では一部情報の均一化が起こっている。日本国内を列車で移動する時に「駅」を見て欲しい。一部の駅を省いて大半が駅名を見ない限り、そこが一体どこで何駅なのか一見して見分ける事が出来ない状況になっている)「ことば」を底辺にその上に積み上げられ続ける事から派生した「文化」。これは価値観のぶつかり合いの究極「戦争」も産み出して来たが、価値観の違いがぶつかり合ったからこそ、新しい価値観、新しい創造も生まれて来た(創造の代表である「エンターテイメント」とは基本的に異文化=異なる価値観との接触が基本だと言われている)。この源である「ことば=情報」を今一度見直すのは本当に難しいことだ。

 言葉の変化は現代まで続いて来たニーズの変化やその時々の社会背景なども取り入れながら現在の様なスタイルに変化して来たはずだ。不特定多数の人々に情報を伝えるという本来の目的を果たせない言葉遣いには問題があるとは考えるが、自然と変化したことばに対してはどのように考えるべきなのだろうか。「勘違い」とは言われているが既に日常に定着してしまっている言葉も多い。さらに現在まで続いて来た「文化」、「民族性」としての「歴史の刻まれた言葉」も伝えて行かなければならない(その遥か昔、高句麗[高麗とも言う、現在の韓国、北朝鮮]で起こった悲劇を繰り返してはならない。韓国、北朝鮮では高句麗以前に使用されていた「ことば」が当時の支配者により完全に廃絶されてしまった。現在、当時の言葉を知る上での情報がほとんど無い状態らしい)。そして、「ことば」の先にある「情報」としての「機能(情報操作ともとれる)」に対する考え方の問題も忘れてはならない。機会があればわたくしも是非一緒に学ばせて頂きたいものだ(笑)。
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by plusdotk | 2005-03-02 19:57 | 社会

損得

 昨日は「損得」について書いたが、何故日本人に「善悪」の判断が浸透していないのだろうか。ここで書くのはあくまでわたくし個人の見解なので、そのつもりでいてほしい。
 日本では一部の人々を省いて大半の人々は「宗教」というものが生活や価値観にとけ込んでいない。反対に欧米、アジア、中東などでは宗教観と言うものが日常生活に強く根付いていると聞く。様々な情報を見聞きしている限り、彼らの判断基準は「善悪」なのだ。そこで一つの可能性が見えて来る。大変乱暴な考え方だが日本人の物事に対する判断基準が「損得」になってしまっているのは「宗教」という習慣が無いのが原因の一つではないだろうか。悪い言い方だがある意味「洗脳」とも言える日常に根ざした宗教観は「善悪」の価値観の教育には非常に有効に機能しやすいと思われる。「善行」の教えが毎日の生活の中で当たり前の様に存在しているのだ。「家族に対する労り」、「他者に対する労り」の価値観、考えが日常生活の中にある為、ボランティアの活動も理解されやすいし、モラルを持った行動も理解されやすい。ましてや判断基準が「善悪」なのは当たり前である。
 よく日本の起業家、経営者が海外に出た際、経営に対する考え方でよく責められやすいのは「社会に対する還元」の考え方が欠けている、という部分らしい。ここで日本人が責められている価値観もやはり「日常」の中で「善行」を行なうのが「当然」という価値観の中で生活していない為だろう。そして、その反対の「責めている側」の彼らには、やはり日常に「当たり前」の様にとけ込んだ宗教観から来る「善行」の考え方が大きく影響を及ぼしているのかもしれない。
 では、日本はどの様にして「善悪」の価値観を浸透させて行けば良いのだろうか。明治時代、既に「日本には宗教観がない」と指摘されていた。しかし、宗教観の代わりに「武士道」という価値観が日本にはある、とも言われていた。この二つの考え方は同じではないが、道徳観ではある意味近いものが機能していた。しかし、これも当時の日常生活にとけ込んでいたからこそ「機能」していたのだ。現代では「学校教育」だろうか。いや、そうではない。やはり「家庭」の中で行なわれなければ「浸透」させるのは難しいだろう。しかし、家庭の中でこれを教えるのは「親」である。「武士道」でさえ忘れてしまっている現代の親世代に「頭でしか分かっていない」かもしれない事を「他者」に伝える事は出来るだろうか。私達はもっと真剣に「改善方法」を考えるべきだ。
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by plusdotk | 2005-02-16 14:27 | 社会

モラル

 昨年から始めた、この仕事もそろそろ5ヶ月になろうとしている。その数ヶ月の間に世界で起こった出来事は数えきれない...あなたも既にご存知だろうが、先日小学校で、またしても包丁による殺傷事件が起こった。原因は「小学校時代にイジメに遭っているのに担任が助けてくれなかった...」と言う事らしい。特にこの事について書きたかったわけではないのだが、どうもここ数年世の中に対して鬱々としたモノを感じて仕方ない。明らかなのは人々の感情に歯止めがかかっていないのだ。今日、親しくして頂いているRYU建築設計事務所のブログを読んだのだが、人々の判断基準が「善悪」では無く「損得」で判断されているのでは無いか、と言う話題の書かれた紙面を読まれたらしい。確かに言われてみれば、現在巷で起こっている現象は「損得」と言う基準で考えると先日起こった事件も乱暴な解釈だがある意味合点がいく。「イジメ」と言う出来事が事実なら「彼」にとっては損得で考えると「損」な出来事に他ならない。だからこそ彼は「損した分」を何らかの形で「変換」したかったのではないか...それが、あの事件に繋がって行くのだろうか...確かに人間は感情と言う「主観」を持ち合わせているからこそ「感性豊か」な生き様を持ちあせている反面、あらぬ方向に大きく逸脱した感情は時には恐ろしい行動呼び起こすのかもしれない。
 人は柔軟だからこそ、今までに様々な文化、発明、社会を形成して来た。しかし、可能性の大きさと柔軟さ故に常に多面的な部分を持ち合わせている。それには当然「影」の部分も含まれているのだろう。モラルハザード、コンプライアンス...様々な横文字を使って人々の考えを元ある場所へという動きが始まってはいるが、まずはこの現状が一体何処から来ているのか、しっかりと考えた方が良いのだろう。当然、ここ最近大手企業や某放送局で起こっている出来事は、子供でも「損得」で考えていることが分かるだろう。
 「経世済民」、何とか多くの人々に富の分配を潤滑にする為に生まれた、この発明は今や「損得」だけで物事を判断する人々を多く創り出してしまったのかもしれない。
 乱暴な言い方かもしれないが、世界の成長した経済の大部分は多くの人々の「愛情」を根幹にして来た。自身が育った故郷、友人や知人果ては社会的な弱者に対する「やさしさ」、「思いやり」が成長の要因だったわけだ(一部では違う側面もあったが)。もちろん戦後復興時の日本も「お互いに生活を向上させよう」と言う号令のもと、一気にここまで成長出来た。現在「損得」が基準になっている様な、これら「愛情」や「やさしさ」、「思いやり」が不在の世の中で、本当に経済もモラルも「回復」する事は出来るのだろうか非常に疑問だ。特に子供達は一体何を目標に生きて行けと言うのか。
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by plusdotk | 2005-02-15 18:20 | 社会