現在一人勝ち状態の「人類」。何故人類(ホモ・サピエンス)は現在の様な最盛期を迎える事が出来たのだろうか。
一気に時代が大きく遡るが3万年前に絶滅したとされている「ネアンデルタール人」とわたくし達「ホモ・サピエンス」と比較した場合、脳の容量は「ホモ・サピエンス」と変わらない「1400ml」だった。基本的に「脳」に由来する能力の違いが原因になり両者の間に大きな差が現れたわけでは無い様だ。何故「ホモ・サピエンス」が生き残って行く事になったのか、という疑問に対しある学説がある。そこでは、以下の様に言われている。「ホモ・サピエンス」は喉の「声帯」が「ネアンデルタール人」と比較し下方に位置する為、声帯より上部の「気道」が長く確保された。それ故に声帯から発せられた「音」を上手に気道に「共鳴」させ、さらに「複雑なことば」を話す事が出来た。それに対し「ネアンデルタール人」は声帯の位置が高く、気道の長さが短い、それ故に複雑な音を共鳴させる事が出来ない。その結果として複雑な「ことば」を扱う事が出来なかったのだ。そう、完璧な「ことば」を扱える様になった為に人類はここまで発展して来た。と、その学説では述べているのだ。つまり、この時点で遺伝子とは別に「第二の遺伝子」とも言える「ことば=情報」を手に入れたのだ。巧みに、ことばを操り重要な情報の交換を正確に素早く行ない危機を脱して来た。現在では地震も「情報」収集により予測と警告を行なえるまでになっている。そう、今、貴方が見ているこの文章も「ことば=情報」である。 現在、その「ことば」が危機にあると言われている。「人類」をここまで進化させて来た「ことば」が危ないと言うのだ。現在までにも言葉は変化を続けて来た。現代において平安時代の話し言葉で日常会話をこなす方はほとんどいないだろう。当たり前だが、今回「危機」と言われているのは当然、「現代の国語」である。漢字の読み書きに始まり、日常会話での話し方やTPOでの使い分けが「悪い意味」で変化しているのである。大変お恥ずかしいが、この件に関してはわたくしは自信が無い。常日頃言葉遣いを意識をする様に努めているが、厳密な指摘を第三者から受けた事が無いので確固たる自信がないのだ。 現代人が良く指摘される「ことば」遣いの間違いの例として「檄を飛ばす」がある。これは本来の意味は「人々を大急ぎで呼び集める」と言う意味だが、「叱咤激励」の意味に勘違いされている。この調子で「勘違い」している「ことば」から「全然良いですよ。」といった根本的な言葉遣いの誤りまで「危機」が盛りだくさんと言うわけだ。しかし、その危機と平行して全く違う意味で「ことば=情報」を根底にしたもう一つの危機がある。 現在インターネットなどの整備が進み世界中で情報の共有化が急速に進んでいる。その中で「価値観」、「流行」の世界均一化が顕著に進んでいると一部で言われているらしい。現在、「ラップミュージック」が世界中で流行しているが、この流行の一端はインターネットからの「情報」にあると言われている。アメリカで発生したこのストリートミュージックが現在、国を問わず席巻している。その結果ブラジル、スペイン、韓国と国を問わず同じ音楽が流れているのだ。「人類皆兄弟」といった発想の考えで行けば、一見皆で仲良く一つの価値観を共有している様に映るが、その反面「価値観」の一本化が進んでいるとも言える。これは本当の意味で危険である。現在、イラク戦争後のイラクでアメリカが価値観の異なる国に対し「欧米流の自由」を押し付けているのでは、と言われ続けている。これは中東諸国にある元来の価値観を踏まえず一方向からスポットを当てた考え方でのみ行動を取っていると言われているからだ。今アメリカがイラクで行なっている復興政策とはある意味自国や「欧米流自由圏」にとって都合の良い「価値観の均一化」の布教とも取れるのだが如何だろうか。ここでは「ことば=情報」の流入、もしくは強引に流入させることにより決して好ましくない「ことば=情報」を元にした「価値観の押しつけ」と言う危機が起こっているわけだ。 人が二人以上集まれば必ず「人間関係」が生まれる、そこには「ことば」による「相互理解」が必ず必要になって来る。そして、「相互理解」には必ず想像力が必要になって来る。これは様々な価値観の経験があればあるほど「理解力=想像力」が深まるとも考えられる。そして、その根本にあるのは、それぞれの地域で根ざして来た「ことば=情報」であるのだ。となれば、「ことば=情報」の均一化と言うのは「多様な価値観の経験の機会」を失う事になりかねない。(乱暴な考え方だが既に日本国内では一部情報の均一化が起こっている。日本国内を列車で移動する時に「駅」を見て欲しい。一部の駅を省いて大半が駅名を見ない限り、そこが一体どこで何駅なのか一見して見分ける事が出来ない状況になっている)「ことば」を底辺にその上に積み上げられ続ける事から派生した「文化」。これは価値観のぶつかり合いの究極「戦争」も産み出して来たが、価値観の違いがぶつかり合ったからこそ、新しい価値観、新しい創造も生まれて来た(創造の代表である「エンターテイメント」とは基本的に異文化=異なる価値観との接触が基本だと言われている)。この源である「ことば=情報」を今一度見直すのは本当に難しいことだ。 言葉の変化は現代まで続いて来たニーズの変化やその時々の社会背景なども取り入れながら現在の様なスタイルに変化して来たはずだ。不特定多数の人々に情報を伝えるという本来の目的を果たせない言葉遣いには問題があるとは考えるが、自然と変化したことばに対してはどのように考えるべきなのだろうか。「勘違い」とは言われているが既に日常に定着してしまっている言葉も多い。さらに現在まで続いて来た「文化」、「民族性」としての「歴史の刻まれた言葉」も伝えて行かなければならない(その遥か昔、高句麗[高麗とも言う、現在の韓国、北朝鮮]で起こった悲劇を繰り返してはならない。韓国、北朝鮮では高句麗以前に使用されていた「ことば」が当時の支配者により完全に廃絶されてしまった。現在、当時の言葉を知る上での情報がほとんど無い状態らしい)。そして、「ことば」の先にある「情報」としての「機能(情報操作ともとれる)」に対する考え方の問題も忘れてはならない。機会があればわたくしも是非一緒に学ばせて頂きたいものだ(笑)。
by plusdotk
| 2005-03-02 19:57
| 社会
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