昨年から始めた、この仕事もそろそろ5ヶ月になろうとしている。その数ヶ月の間に世界で起こった出来事は数えきれない...あなたも既にご存知だろうが、先日小学校で、またしても包丁による殺傷事件が起こった。原因は「小学校時代にイジメに遭っているのに担任が助けてくれなかった...」と言う事らしい。特にこの事について書きたかったわけではないのだが、どうもここ数年世の中に対して鬱々としたモノを感じて仕方ない。明らかなのは人々の感情に歯止めがかかっていないのだ。今日、親しくして頂いているRYU建築設計事務所のブログを読んだのだが、人々の判断基準が「善悪」では無く「損得」で判断されているのでは無いか、と言う話題の書かれた紙面を読まれたらしい。確かに言われてみれば、現在巷で起こっている現象は「損得」と言う基準で考えると先日起こった事件も乱暴な解釈だがある意味合点がいく。「イジメ」と言う出来事が事実なら「彼」にとっては損得で考えると「損」な出来事に他ならない。だからこそ彼は「損した分」を何らかの形で「変換」したかったのではないか...それが、あの事件に繋がって行くのだろうか...確かに人間は感情と言う「主観」を持ち合わせているからこそ「感性豊か」な生き様を持ちあせている反面、あらぬ方向に大きく逸脱した感情は時には恐ろしい行動呼び起こすのかもしれない。
人は柔軟だからこそ、今までに様々な文化、発明、社会を形成して来た。しかし、可能性の大きさと柔軟さ故に常に多面的な部分を持ち合わせている。それには当然「影」の部分も含まれているのだろう。モラルハザード、コンプライアンス...様々な横文字を使って人々の考えを元ある場所へという動きが始まってはいるが、まずはこの現状が一体何処から来ているのか、しっかりと考えた方が良いのだろう。当然、ここ最近大手企業や某放送局で起こっている出来事は、子供でも「損得」で考えていることが分かるだろう。 「経世済民」、何とか多くの人々に富の分配を潤滑にする為に生まれた、この発明は今や「損得」だけで物事を判断する人々を多く創り出してしまったのかもしれない。 乱暴な言い方かもしれないが、世界の成長した経済の大部分は多くの人々の「愛情」を根幹にして来た。自身が育った故郷、友人や知人果ては社会的な弱者に対する「やさしさ」、「思いやり」が成長の要因だったわけだ(一部では違う側面もあったが)。もちろん戦後復興時の日本も「お互いに生活を向上させよう」と言う号令のもと、一気にここまで成長出来た。現在「損得」が基準になっている様な、これら「愛情」や「やさしさ」、「思いやり」が不在の世の中で、本当に経済もモラルも「回復」する事は出来るのだろうか非常に疑問だ。特に子供達は一体何を目標に生きて行けと言うのか。
by plusdotk
| 2005-02-15 18:20
| 社会
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